2013年03月15日

やられた

 ボクシングの試合を見ていると、パンチが顔面に当たってノックアウトするシーンに出くわす時がある。

 パンチが顔面に当たった瞬間、足元がふらつき、腰が砕けて、尻もちをつく。

 たまに大の字に倒れるシーンも見かけるが、あれほどの強靭な肉体を持つ人間でも顔面に強い打撃を与えられると気を失うことがあるのか、と驚くClaire Hsu

 幸いにも顔面を強く打撃される経験は僕にはないが、顔面に強い打撃や衝撃を受けた瞬間、その本人はどう思うのだろうか。

 やられた、と観念するのか。
 気を失う前にこちらも相手の顔面を、と反撃に出ようとするのか。

 どちらにせよ、顔面に強い打撃を与えられる状況に出くわしたくない。

 小学生の時、飛んできたサッカーボールが頭に当たって、しばらくその場でうずくまった思い出がある。

 朝、友だちと話をしながらグラウンドを歩いていると、突然、物凄い勢いで何かが頭に当たった衝撃があり、わけがわからぬまま座り込んでしまった。

 ちょうどその時にサッカークラブがグランドで朝の練習をしていて、パスを出すために蹴られたサッカーボールが僕の頭を直撃したらしい。

 そのサッカーボールを蹴った本人を含めた数人が僕の周りに集まって声を掛けてくれていたが、その時の僕はそれどころではなかった。

 しばらくその場から立ち上がれなかった。

 トランポリンという遊具がある。
 僕はそれが好きだったexecutive gift
 ジャンプすればジャンプするほど、より高く高く飛べる感覚が好きだった。

 その一方で、そのトランポリンに体を横にして寝ころぶと、どこまでも沈んでゆき、体がくの字になった。
 いつもは寝ころんでもそのような体勢にならない場所で横になっていたので、体がくの字になるという感覚に不思議さを覚えた。

 トランポリンで高くジャンプするだけではなくて横に寝ころんで遊んでいたのは、僕が幼稚園のころである。

 男は失恋に弱い。
 相手から別れ話を持ち出された瞬間、別の自分がノックアウトし、遠ざかって行く相手の後ろ姿を見て立ち上がれず、交際のピリオドが打たれたショックにどこまでも気持ちが沈んでいく。

 男は失恋を引きずる、というのは本当の話だ。
 何度か失恋した経験を持っている男の僕が言うのだから間違いない。
 もし、あなたの知人の男性が失恋したと言う話を切り出しても、決して『失恋なんて……』と返さないでやってほしい。

 それは傷口に塩を塗るようなものだchildren’s bedroom furniture
 だから、その時は話を聞いて相槌を打つだけでいい。
 それだけでも失恋した男は癒される。
 そのような経験で失恋から立ち直った僕が言うのだから、間違いないと思う。  


Posted by helo  at 16:34

2013年03月15日

全くもって


子供の頃、友人の家へ遊びに行くと、お昼には決まってその家の親は、「何もないけど一緒にご飯を食べて行きなさい。」と食事に誘ってくれました。一緒に遊びに来ていた他の子は昼食は勿論のこと、その後も一緒に遊び続けて、夕食まで頂くこともあったようです。

私はと言うと、親戚と言えども其処の家の食事に肖るということはありませんでした。なぜならそれは私にとって、と言うより私が受けた我が家の教育方針が、他所の家庭の食事に肖ることは施しを受けることであり、施しを受けることは恥であるという教育だったからです。

他所の家の食事を食べると言うことは、食べ物を恵んで貰うということに変わりなく、それはみっともなくて恥ずかしいことで、家族や家系に泥を塗り、祖父や父のプライドを傷つける行為に他ならなかったのです。それほど私の親家族は人の世話になることを尽く嫌っていました。

他所で一緒に遊んでいた友人達が、そのお宅でお昼ご飯を食べている間、私は一人だけ自分の家にわざわざ戻って食事を済ませ、再び足を運びました。戻って食事が出来ないような遠い場所の時は、一人だけ午前中で遊ぶのをやめて、友人と別れて帰宅するのでした。

今思うと、その頃から私は、本来経験すべき子供の世界や人間関係を築くチャンスを奪われ、子供なのに大人の環境に縛り付けられて行動範囲を制限され、結局は行動をコントロールされて、『子供』を体験する事を許されなかったのです。

大人にとって都合のいい子に着々と育て上げられていた訳です。人の世話になる事は恥ずかしいことなんだとすり込まれ、苦しくても苦しいと言えず、辛くても辛いと言えず、助けが欲しくても助けてと言えない、終いには自分から人の情を拒絶するようになってしまったのです。人に弱さを晒す事が屈辱と感じるようになってしまいました。

全くもって、大人になって世の中を渡って生きていくには、絡みづらく可愛気のない人間です。男性からみたら、女としては最悪でしょう。

厄介なのが、そういう人間であるが故か、自分より年上の男性に甘えられる事が許せません。出来るであろうことが出来なかったり、子供じみていたり、甘えてくる男性が許せません。時々、男性に甘えられると母性本能を擽られ嬉しいとか、大人の男性の中に見える少年の部分が魅力的だという女性がいますが、私はありえません。

ただ、兄弟の一番上で育ったせいか、男女問わず年下に対しては、守らなければいけないという使命感と責任のようなものを無意識に抱いてしまいます。なのに、年上の男性に甘えられるととても不快なのです。(正直に言うならムカついてヘドが出ると言ったところでしょうか。)

それほど、自分の全てをいつ何時も安心して委ねられる相手しか認められないし、信用できなくなってしまっています。根底は大人を信じられない人間不信なのでしょう。

それでも最近はそのような男女関係に身を置くこともあまりなくなったこと、私自身も人生経験を積むにつれ、自分の意思表示が出来る神経の太さも徐々に持ち合わすようになってきたようで、多少は人間に馴染んできたかなと感じています。

どんな家族にもきっと様々なその家族だけのルールがあると思います。今ふと思い出しても、子供教育にも家族間の愛情にも何のメリットもない、ただ大人のエゴに重きを置いた、随分と理不尽なルールで縛られていたものだと思います。  


Posted by helo  at 16:33